Dannasm 053

Shunsaku Kawake age66

IMAGE:Shunsaku Kawake

Dannasm Details 017

一人で生きて、一人で死にたい

Dannasmにおいて大きなコンセプトとなっているism(流儀)ですが、河毛さんにとってのismを教えていただけますでしょうか

男はね“一人で生きて、一人で死にたい”とどこかで思っている。例え家族が居てもね。この信念を持っていないと結局、他人に甘えてしまう。皆と一緒に生きることは素晴らしいことだけどね。それは私がある程度大きな企業のサラリーマンとして生きてきたからこそ個人の憧れとしてそう思うのかもしれない。
 男はある程度年齢を重ね責任を持つ立場となった時、自分の正義が他者と衝突することが必ずある。自分が正しいと思うことを主張するのであれば、他の全員と対立をしたとしても貫かなくてはいけない。そうしないと時代に迎合されてしまうし、大きな物に流されてしまう。戦う為には自分をもっと奥深く知ることが必要。
 男は、孤独であっていい。最後は、すべて自分で判断することになるからね。

 
河毛さんは、演出家として数多くの作品に携われていますが、演出家とは

演出家は、常にチームとの共同作業で成り立っている。極端に言えば、演出家がいなくてもドラマは作れるかもしれない。面白い脚本とプロの役者・カメラマンと仕切れる人間が居れば現場は成り立つ。ゼロから架空の世界を立ち上げるのが演出家の仕事の本質。演出家は、一種の職人だが、言葉以外の道具を持たない。言葉というのは自分のスタイルから出て来るものだからそこに説得力がないとその場にいても意味がない。大勢の人間を率いていくということは、トップに立つ人間が一番一生懸命に取り組まなくてはいけないし、ちゃんとそれをスタッフやキャストに見せなくてはいけない。だからこそプライベートの時は一人でいたい。一人の時にどれだけモノを考えるかそこが大事。

Dannasmにおいてもう一つのキーポイントになる“銀座”の印象は

銀座の出発点を考えると、明治維新後の文明開化の時代に生まれ、鹿鳴館と同じように諸外国に対しての広告塔として人工的に作られた街。
 この街は日本で一番格式が高い街だが、実は“新しいもの”を取り入れることができる“ゆとり”がある。時代が変われば、街が変化していくのは当たり前。でも、これだけは言いたい。“壊れてしまったものは、二度と戻らない”ということ。
 私には私の銀座があった。明日には若者が作る銀座がある。それは無限に広がる。最近、若者が銀座に来ることが多いが、やることを批判もしないし迎合もしない。
 銀座は路地の街だ。路地はビルとビルの谷間にあって狭く迷路みたいに入り組み、そこに小さな店がひしめき合っていた。並木通りには、屋台がありそこにはアメリカ製品が置いてあって色々と見ていたね。もしかしたらそこから物へのこだわりが始まったのかもしれない。

“本物”に対するこだわりとは

昔からずっと続いてきて、20年後にあってもずっと変わらない物。例えば、今、身に付けているコンバースのスニーカー、ロレックスの時計。これは昔も今も変わらない。結局は、ヴィンテージで機能が美しい物に惹かれる。無駄な作業がかっこいいと思うから便利すぎると美しくない。オシャレも含めちょっと面倒くさいくらいの方がいい。すべてが合理的になってしまったら私の思う人間らしさはなくなってしまう。今何かそうなりつつあるのが気持ち悪い。今の時代、スマートフォンがあればほとんどのことが済んでしまう。この風習はどうなのかと感じる。私はスマートフォンに権力を持たせたくない(笑)。普段の私は、面倒くさがり屋なのに物となると面倒くさいが好きなんだ。