dannasm 037

Wato Abe age79

IMAGE:Wato Abe

Dannasm Details 012

銀座はなくてはならない街

銀座とのゆかりを教えていただけますでしょうか

中学生の頃から銀座にいました。父が画描きでしたので、画廊や展覧会に一緒に見に来たりしていましたね。
あと、音楽が好きで、幼少からクラシックを勉強していたのですが、銀座にはジャズやシャンソンを演奏するお店がいくつかあって、そこに通うようになりました。お店によく行くうちに、どんどん魅了されていきましたね。 よく銀巴里※1や銀座テネシー※2に聞きに行っていました。
わたしは3歳の頃から粘土ばかりいじっていたので、両親からは、建築家か彫刻家になるだろうと言われていましたが、ジャズを知り、音楽に目覚めましたね。ですから、陶芸と音楽との二足のわらじでした。

音楽に目覚めたと知ったご両親は相当驚かれたのではないでしょうか

そうですね。「音楽の道に進みたい」と父に言ったら、「音楽家にするにはお金がかかりすぎる」と叱られました(笑)ですから、銀座でアルバイトをしようと思い応募をし、銀座にある喫茶店のボーイに採用されたんです。父がそのことを知ると「アルバイトをしてまで音楽をやりたいのか」と、そこでわたしは「そうです」ときっぱりと答えました。その場はそれで終わり数日経つと、父は無理をしてアメリカ製のトランペットを買ってきてくれました。ビックリしましたが、すごく嬉しかったことを今でもよく覚えています。

その後の活動はどうなったのですか

父がトランペットをちゃんとやるなら有名な先生に就かなくてはダメだということで芸大の先生に習っていたのですが、わたしが思う音色と先生が奏でる音が合わないことに気付き、違うなと思い辞めました。独学でやっていくことは難しいと感じていましたので、いろいろなオーケストラを聴きに行き、ようやくこれだと思った交響楽団に出会い、そこで勉強させてもらいました。

そうでしたか。ここまで本格的に音楽をやられたことに驚いています。阿部さんにとって銀座は音楽をより知り、アートの面でも惚れ込んだ街となったわけですが、銀座の魅力は他にどこにあると思われますか

わたしは陶芸家として活動しており、作る陶芸の中にはダークな作品もありますので、気持ちを切り替えるためによく知っている銀座に来ます。昔の頃にタイムスリップして気分がスッキリとしますね。街並みや画廊、音楽、お酒と愉しめるものが多いですからこの街はやはり落ち着きます。
あとは、未だに変わっていないお店があるところです。銀座LIONは今もよく行きます。昔は空いていて良かったんですけどね。座る席はいつも決まっています。以前から何回も通っているので、もうその席に座るのが当たり前の感覚ですね。やはり銀座は、わたしにとってなくてはならない街です。

阿部さんにとってダンナとはどのような方だと思われますか

藤原義江さん※3ですかね。彼こそ銀座のダンナだと思います。イギリス人とのハーフで品があって貫禄がありました。立ち姿、歩き方一つとっても他の人とは違いましたね。

  • ※1銀巴里・・1951-1990まで銀座7丁目にあったシャンソン喫茶。美輪明宏を輩出。
  • ※2銀座テネシー・・銀座を代表する老舗ジャズ喫茶(現在は閉店)
  • ※3藤原義江・・1898-1976 日本を代表する男性オペラ歌手。藤原歌劇団創始者。